「鯨寄れば七浦潤し」の言葉があるように、浜に漂着した鯨はかつて漁村に吉祥と幸をもたらした。鯨以外にも鯱、大魚、漂流物、漂着物、破船などは遠く彼方の常世の国からもたらされた吉祥の存在として「エビス」と呼ばれた。能登半島の海村に鎮座する神社には、神仏像が漂着した、あるいは幾度も投げた網に掛かる故に祀られるに至ったといわれる寄り神、漂着神が多く存在している。現代においては神仏像が漂着することはあり得ないことかもしれないが、島崎藤村の「椰子の実」のような、漂着物一つから海のむこうの何処かわからない彼方との距離と時間を想像し、掌を合わせる深淵な心の豊かさに焦点をあてたい。加速する社会の中から弾かれ、押し流され、捨て去られた過去の遺物たちが、海の中で眠り、流れ漂った末に、意思を持って到来する新たな「エビス」の物語を語り出す。